●生い立ち

 

わけわけ体操チャリティプロジェクトの呼びかけ人である大石朝子(アリエル新体操クラブ代表)の生い立ちです。

 

◆0歳~

1967年3月13日、埼玉県朝霞市に生まれる。自営業の父、専業主婦の母、愛情いっぱいの両親のもと2歳上の兄、愛犬、にわとり、小鳥と一緒に暮らす。好奇心旺盛、明朗で活発、毎日川原や原っぱで遊ぶ日々。また、バレエ・絵画・お習字・英会話などのお稽古も大好きだった。勉強はあまり好きではなかったが、小学校の社会の授業で広島・長崎の原爆の悲惨さを知り、痛烈な悲しみを受けたことを今でも鮮明に覚えている。その後、非核三原則や憲法9条を学んだ時「あ~~~、日本に生まれてよかった~。。。」と、日本人の深い精神性と日本に生まれた安心感に包まれる。小学校の体育以外の授業で記憶にあるのはそれだけ。

 

◆10代~

藤村女子中学校・高等学校、東京女子体育大学で素晴らしい先生方、友人に囲まれながら充実した新体操の競技人生を送る。全国中学校新体操選手権大会準優勝、国民体育大会(島根)優勝、ワコールカップ(国際大会)日本ジュニア団体メンバーとして優勝。オリンピック強化選手となる。その後、勝利至上主義に翻弄され、オリンピック代表選手になれなかった自分を肯定できない毎日が続く。誰かに相談すると緊張の糸が切れそうで毎晩、一人お風呂場で涙する日々。その頃見る夢は街中を逃げ回る夢ばかり。足も絡んで進めない。ビルから飛び降りた瞬間によく目を覚まし、その30分後に始発電車に乗り、朝練に通う毎日だった。

 

◆20代~30代

●大学卒業後はニッポン放送新体操教室(現、ウーマンズ新体操クラブ)に入社。好きな事を通じた教育活動の素晴らしさを実感する。

25歳で誠実で優しい夫と結婚。翌年長女を妊娠するが、切迫早産で3回の入退院を繰り返す。入院中に長女が生まれる。

28歳で大好きな父の死に遭遇。大きなショックを受ける。命、人生について解決できない思いを抱える。その後、2女、3女を助産院で出産。出産は家族の立ち会いの元、幸せな超安産であったが、産後は以前からの腰痛に悩まされる。片肘をついてお皿を洗う日々が続く。そして、同時期に会社員である夫の過酷な勤務体制(早朝の出社、夜中の帰宅)から夫の体調が心配に。自分の中で子育ての不安も話せない状況と重なり、時々めまいを起こす。約10年間は専業主婦として可愛い3人娘の子育てに専念する。その子育て期後半には、めまいや腰痛を数年かけて漢方や食生活、トレーニングで完治する。

35歳の時に地元のよさこいチーム、「朝霞鳴子一族め組」に家族で入会。踊りの楽しさ、好きなことを通じての人との絆、エネルギーの大きさを実感する。その頃から10代の自分の道のりを肯定できるようになる。

39歳。3女の幼稚園卒園を機に、お世話になった、かきの木幼稚園で「アリエル新体操クラブ」を立ち上げる。アリエルは星の名前。設立理念は「星のように美しい子どもの心をより光輝くようサポートすること」。

 

◆40代~

●43歳で、学生時代から学びたかった哲学を含む生命の科学、アーユルヴェーの資格を取りにスリランカに行く。

●2011年3年11日、東日本大震災の後、生命、文明、環境について結果の出せない自分に悩む。その後、復興支援や原子力に関する講演会に時間の許す限り参加する。

●2011年10月、アフガニスタンの人権活動家、マラライ・ジョヤさんに出会う。今を生きる一人の女性として、行動する勇気をもらう。また、世界のエネルギー問題と戦争のつながりを目の当たりにする。2011年に今まで環境問題などに対し、受身の生活を送り、知識不足の自分を反省する。

 ● 2011年5月、宮城県石巻市を訪問。

その後、人生を学ばせていただいた新体操を通して「楽しさから世界平和を伝えるチャリティーDVD」の制作を決意する。そして現在、大切な家族のもと、大きな心で才能あふれる方々と一緒に「わけわけ体操DVD」のプロジェクトを進行中。